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【アラベスク】  第2章 真紅の若葉



第4節 動き出す [2]




 少し俯き加減だった頭を上げると、サラリと前髪が揺れる。
「これっ」
 手に握っていた紙切れを突き出された。
「学校で渡してもよかったけど……」
 怪訝に思いながらも受け取る。
「僕の住所と電話番号。あと、父さんの名前。別に必要ないかもしれないけど、一応ココの契約者だから知っておいた方がいいかと思う。部屋のことで何かあったら僕に連絡して」
「うん……」
 瑠駆真の言葉に頷きながら、視線は紙切れを凝視したまま。
 食い入るように見つめる美鶴の様子に、瑠駆真の胸中が不安に渦巻く。
「何か……」
「う ……ん」
 半ば腑に落ちない様子で顔を上げる。
「これって、名前?」
 指差す先には、カタカナの羅列。だが瑠駆真は納得すると、なぜだか視線を逸らせる。
「……うん」
「変わった名前。ハーフだったっけ?」
「あぁ」
「お母さんが日本人だったんだ」
「まぁ…… ね」
「お父さん、アメリカにいるんだっけ?」
「あぁ」
「変わった名前」
「アラブ人だからね」
「へぇ」

 ミシュアル・グスン・アル・ハルビー

 どれが名前で、どれが苗字なんだろう?
 だが、それ以上この件に関して質問をするのはよくないだろう。
 少し苛立った瑠駆真の挙動に、美鶴は紙切れを小さくたたんだ。
「ありがとう」
「いや……」
 美鶴の行動にホッと笑みを見せる。だが、視線を落して、眉を寄せた。
「ごめんね」
「は?」
「足。治りかけてたのに、また悪くしちゃった?」
 言われて美鶴も視線を落す。
「ごめんね」
 顔を上げた先では、瑠駆真は視線を落としたまま。辛そうに視線を泳がせる瑠駆真は、本当に美しい。そして、美鶴など到底足元にも及ばないほど、恵まれている。
 だが、こんな彼でも、我を失う時がある。
 そうさせたのが自分なのだと思うと、なんだかひどく胸が苦しくなる。
「悪いって思うんなら、もうやめて欲しいわね。あんなコト」
 ワザと傷つけるつもりで剣呑に責める。
 そう。ワザと責めてやったのに、瑠駆真が唇を噛むと、ひどく胸が締め付けられる。
「じゃあね」
 場の雰囲気に耐えられず背を向けようとする美鶴の腕を、瑠駆真が捕らえた。
 強くはないが、振り払えない。
「美鶴」
 まだ呼び慣れていないのがわかる歯切れの悪さが、美鶴の胸を一層強く締め付ける。
「僕、好きだから」
 どうしていいのかわからない。
「まだ、信じてもらえてないみたいだけど……」
 耐えられない。
 この場から逃げたい衝動に駆られて、とにかく何か言わなければと振り返り…… そして、固まった。
 自分を振り返り、だが何も言わない美鶴を覗き込む。そうして、その瞳に自分が映っていないことを知り、視線を辿るように振り返った。
 そうして…… 瑠駆真も動きを止めた。
「コンニチワ」
 艶やかな黒い肌の女性はそう口を開くと、品良く笑う。
「ヒサシブリネ、ルクマ」
 外国人訛りの強いイントネーションで話しかけてくる女性。その態度は実に親しげだ。
 だが瑠駆真は、黙ったまま凝視する。ただ一つ反応したのは、手にした美鶴の細い腕を、そっと握り直したことだけ。
 何も答えない瑠駆真の態度に、黒人の女性は少し首を傾げて目を見開いた。その表情が美鶴には、とても愛らしく見えた。





「これ以上しつこいと、殴るぞ」
 聡の剣呑な態度にも、相手は余裕の笑みを返すだけ。
 その表情に聡はチッと舌を打つと背を向け、振り返りもせずに玄関のドアを閉めた。
 階段を上がり、自室へ入る瞬間に視線を感じる。振り返ると、少女のそれとぶつかる。
「なんだよ?」
「大迫先輩、お引越しされたそうですわね」
「どこで知った?」
「人気者ですもの。どこからでも知れますわ」
 蔑むような視線に先ほどまでの苛立ちが相俟(あいま)って、思わず語調が強くなる。
「なんなんだよっ!」
「そう怒鳴らないでくださいませ」
 獰猛(どうもう)な野獣でも見るかのような義妹の視線に耐えられず、背を向ける。
「山脇先輩の計らいというのは、本当ですの?」
 答える余裕もない。
 後ろ手で扉を閉め、そのまま窓際へ向かった。見下ろすと、先ほどまで相手をしていた少年の後ろ姿が、遠くにチラりと見える。
 スッキリと刈り上げた頭に手をあて、フラフラと遠ざかる姿が、(すこぶ)る憎たらしい。
「しつこいっ」
 胸の内に渦巻く何かを吐き出すように、聡は押し殺した声で呟いた。
 どいつもこいつもっ! なんだって言うんだっ!
 拳で力いっぱいベッドを叩き、そのままうつ伏せに倒れこむ。
 その音を壁越しに聞きながら、緩はフンッと鼻で(けな)した。そうして自室の床に腰をおろし、(おもむろ)に画面と向かい合った。







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