少し俯き加減だった頭を上げると、サラリと前髪が揺れる。
「これっ」
手に握っていた紙切れを突き出された。
「学校で渡してもよかったけど……」
怪訝に思いながらも受け取る。
「僕の住所と電話番号。あと、父さんの名前。別に必要ないかもしれないけど、一応ココの契約者だから知っておいた方がいいかと思う。部屋のことで何かあったら僕に連絡して」
「うん……」
瑠駆真の言葉に頷きながら、視線は紙切れを凝視したまま。
食い入るように見つめる美鶴の様子に、瑠駆真の胸中が不安に渦巻く。
「何か……」
「う ……ん」
半ば腑に落ちない様子で顔を上げる。
「これって、名前?」
指差す先には、カタカナの羅列。だが瑠駆真は納得すると、なぜだか視線を逸らせる。
「……うん」
「変わった名前。ハーフだったっけ?」
「あぁ」
「お母さんが日本人だったんだ」
「まぁ…… ね」
「お父さん、アメリカにいるんだっけ?」
「あぁ」
「変わった名前」
「アラブ人だからね」
「へぇ」
ミシュアル・グスン・アル・ハルビー
どれが名前で、どれが苗字なんだろう?
だが、それ以上この件に関して質問をするのはよくないだろう。
少し苛立った瑠駆真の挙動に、美鶴は紙切れを小さくたたんだ。
「ありがとう」
「いや……」
美鶴の行動にホッと笑みを見せる。だが、視線を落して、眉を寄せた。
「ごめんね」
「は?」
「足。治りかけてたのに、また悪くしちゃった?」
言われて美鶴も視線を落す。
「ごめんね」
顔を上げた先では、瑠駆真は視線を落としたまま。辛そうに視線を泳がせる瑠駆真は、本当に美しい。そして、美鶴など到底足元にも及ばないほど、恵まれている。
だが、こんな彼でも、我を失う時がある。
そうさせたのが自分なのだと思うと、なんだかひどく胸が苦しくなる。
「悪いって思うんなら、もうやめて欲しいわね。あんなコト」
ワザと傷つけるつもりで剣呑に責める。
そう。ワザと責めてやったのに、瑠駆真が唇を噛むと、ひどく胸が締め付けられる。
「じゃあね」
場の雰囲気に耐えられず背を向けようとする美鶴の腕を、瑠駆真が捕らえた。
強くはないが、振り払えない。
「美鶴」
まだ呼び慣れていないのがわかる歯切れの悪さが、美鶴の胸を一層強く締め付ける。
「僕、好きだから」
どうしていいのかわからない。
「まだ、信じてもらえてないみたいだけど……」
耐えられない。
この場から逃げたい衝動に駆られて、とにかく何か言わなければと振り返り…… そして、固まった。
自分を振り返り、だが何も言わない美鶴を覗き込む。そうして、その瞳に自分が映っていないことを知り、視線を辿るように振り返った。
そうして…… 瑠駆真も動きを止めた。
「コンニチワ」
艶やかな黒い肌の女性はそう口を開くと、品良く笑う。
「ヒサシブリネ、ルクマ」
外国人訛りの強いイントネーションで話しかけてくる女性。その態度は実に親しげだ。
だが瑠駆真は、黙ったまま凝視する。ただ一つ反応したのは、手にした美鶴の細い腕を、そっと握り直したことだけ。
何も答えない瑠駆真の態度に、黒人の女性は少し首を傾げて目を見開いた。その表情が美鶴には、とても愛らしく見えた。
「これ以上しつこいと、殴るぞ」
聡の剣呑な態度にも、相手は余裕の笑みを返すだけ。
その表情に聡はチッと舌を打つと背を向け、振り返りもせずに玄関のドアを閉めた。
階段を上がり、自室へ入る瞬間に視線を感じる。振り返ると、少女のそれとぶつかる。
「なんだよ?」
「大迫先輩、お引越しされたそうですわね」
「どこで知った?」
「人気者ですもの。どこからでも知れますわ」
蔑むような視線に先ほどまでの苛立ちが相俟って、思わず語調が強くなる。
「なんなんだよっ!」
「そう怒鳴らないでくださいませ」
獰猛な野獣でも見るかのような義妹の視線に耐えられず、背を向ける。
「山脇先輩の計らいというのは、本当ですの?」
答える余裕もない。
後ろ手で扉を閉め、そのまま窓際へ向かった。見下ろすと、先ほどまで相手をしていた少年の後ろ姿が、遠くにチラりと見える。
スッキリと刈り上げた頭に手をあて、フラフラと遠ざかる姿が、頗る憎たらしい。
「しつこいっ」
胸の内に渦巻く何かを吐き出すように、聡は押し殺した声で呟いた。
どいつもこいつもっ! なんだって言うんだっ!
拳で力いっぱいベッドを叩き、そのままうつ伏せに倒れこむ。
その音を壁越しに聞きながら、緩はフンッと鼻で貶した。そうして自室の床に腰をおろし、徐に画面と向かい合った。
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